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To: 上田假奈代 From: 橋本敬 Date: Fri, 22 Feb 2002 23:10 +0900 Subject: 今度の月曜日に |
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假奈代ちゃん 梅の季節になりましたね。奈良では庭の梅のつぼみがふくらんでた。 ここ石川も、ここのところ暖かで、雪も融けて来ました。 その下から緑が顔をのぞかせてます。春ですね。 エディンバラは春になってるんだろうか。まだ風が強いのかな。 「コトバの化石」 この世にないかたち なんだと思うよ。 この世にないかたちはどんなかたちか、想像してみると楽しいね。 > 連綿とつづく時間のなかで > ことばは、いつ生まれていたのでしょうね。 言葉と音楽と、どっちが先に生まれただろうか、とも思わない? 語りかけたい、という気持ちと、ただ歌いたい、という気持ち。 > いちばん最初の誰か、は誰だったんでしょうね。 > 神さま、精霊。祖先。家族。近所に住む友人。それとも愛する人。 > 食料となる木々や動物たちだったのでしょうか。 愛する二人にことばはいらなかったりするから、それは違うのかな (笑) 真面目な話、神様や精霊といった宗教的なことは ことばの起源に大切なんですよ。 この世にあるものもないものも、なにかをなにかで表す、 っていう「記号」の創発に関係してるので。 詩人サイト16万件。 へーー、そんなにあるんだ。それはすごいことになってるね。 読者はどのくらいなんだろ。 > 2階の木製ベランダから、黒髪を垂らし、はだけた着物の女の人が > 団扇をはたはたさせているような、そんな幻をぼんぼりの灯のなかに見た。 え、あれは現実のものじゃないの? 僕ははっきりとその光景を見た気がするんだけど、でも、あの散歩自体が 幻のような気分もあるんだよ。 ある角を曲がると突然遊郭になって、それまでは普通の町だったのが、 そっから一気に現実を離れたような気がする。あの角を曲がった以降は、 夢なのかなー、という感覚。 いろんな朝のはじまりかた。 あれからいろんな街で朝を迎えてみた? 場所ごとの朝の始まりの顔を見てみるの、おもしろそう。 と明け方に書いていると、石川の朝が始まってしまいました。 奈良を離れてから、ほとんど郡山には行ってないな。 ベンガラがなくなったのは聞いてたんだけど、あのおにいさんは 今はどうしてるんだろう。 僕はJR、当時はまだ国鉄かな、で通学してたんだけど、 JR郡山駅から高校に行くまでのあいだに蛸焼き屋さんがあって、 よく食べてた。 夏休みに文化祭の準備で学校に来てる時なんかに、 お昼ごはんに沢山買いに行ったり。 普通の家の軒先でおばちゃんがせっせと焼いていて、 15個で100円だったかな。 夕方くらいに行くと、おばちゃんが買物に行くとかで、 残ってるのを全部くれたりするんだよ。 多分もうないんだろうな。 郡山とは関係ないんだけど、この蛸焼きのことを思い出すと、 それに連れて出て来るのが、チョボ焼き。知ってる? 蛸焼きを焼く鉄板を小さく薄くして、くぼみも浅くしたみたいなのに、 こんにゃくやら紅しょうがやらチクワを刻んだものを入れて、 小麦粉を水に溶いたのをかけて炭火で焼く。 下から火を当てるだけじゃなくって、炭と炭の間にも入れられるように なってて、ほんのり焦げておいしいのです。 中学までは大阪の西成に住んでたんだけど、そこにあったんだ。 いまでもこのチョボ焼き屋はあるんだろうか。 そもそもチョボ焼き自体、存在してるのかな。 こういう粉系ジャンクが好きで、お祭りとか夜店に行くと、 かならずイカ焼きを買ってた。熱いのをハフハフしながら食べるの、大好き。 ゲソなんかを溶いた粉に入れて、鉄板の間でギューっと焼くやつ。 でもね、東京ではあのイカ焼きは売ってないんだよ。 イカ焼きというと、イカをそのまま焼いたやつ、姿焼きになる。 だから、大阪に帰って来たときに、わざわざ阪神百貨店の地下に 買いに行ったりするよ。 今度の月曜日の夜には 大阪に行くから、連絡するね。 4年ぶりだね。 としを
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