さらに「伝える」行動に出る学術博士
To: 上田假奈代
From: 橋本敬
Date: Tue 26 Mar 2002 10:06 +0900
Subject: エディンバラにも春の一日
假奈代ちゃん

お返事おそくなってごめんなさい。

エディンバラでもね、こないだすごくいい天気の日がありました。
前のメールで「天気はいいけど強風」の日のことを書いたけど、
その数日後、その風も止んだのです。
気持ちが良くって夕方に散歩しました。
3月半ばにコートも着ずに散歩できるなんて、まったく僥倖です。

僕の部屋の近くにエディンバラのサッカーチームのホーム・スタジアム
があります。土曜日の午後、ここで試合のある日は
ぞろぞろとそのスタジアムに人が吸い込まれて行く。
そして夕方、ホームチームが勝った時は、熱狂した人達が叫びながら
街を闊歩しています。危ないことが起きないよう騎馬警官も出たりして。
そして翌日には、馬の副産物が道端に、ボテッ、ボテッと。

その日の散歩はまずはスタジアムに向かって。
スタジアム近くのパブの入口に、「No football color shirts」の張り紙。
ホームとビジターのサポーターが入り混じって喧嘩になるのかな。

そこから知らない道をいろいろと入ってこんなところに出るんだね、とか、
遠くに見える海を眺めたり、お墓の写真を撮ったり、
広場で遊ぶ子供達を見ていたり、などと、
道が入り組むヨーロッパの街を楽しみました。

> 自転車で、駅まで向かう途中、露店商のトラックから、大音量の「鯉のぼり」の唄が
> 流れていて、雲ひとつない空に、泳いでいるようでした。

日本はもう鯉のぼりの季節ですね。こちらは今はイースター・ホリデー。
卵型をした巨大なお菓子を食べるそうです。表面がチョコレート、中は砂糖。
まったく食べる気がしないですねー。
しかし、食への好奇心いっぱいで生きてるので、
試してみたいという気はします。

> えっと、聞く、というコトバの意味の受け取り方、それには、ほんと人生があらわれ
> るよね。聞いてるだけだから、外には見えないんだけれど、会話をしていて、すーすー
> 気持ちが伝わっているときって、聞く方がその意味合いをとても汲みとってくれてる
> ときだよね。

それは良くわかります。そういう時は話してて気持ちがいいですね。
僕は、外国語でのコミュニケーションだと、なかなかそこまで行けないのですね。
こっちが一生懸命話すこと、頑張って聞いてくれてるんだけど、
相手の言ってることが「すーすー」と入って来ない、
想像しながらなんとかついて行く感じ。

> 昨年のいつ頃かな、思ったのよ。
> 「読む(朗読する)」という行為には、「聞く」という行為が前提にあるんじゃない
> かって。
>
> たとえば、わたしは朗読をするときに、お客さんを聞いている。
> へんな日本語なんだけど、ね。
> 観客の耳を澄ましている感覚を、わたしはとらえようとするわ。

ことばは一方的に発することはできなくて、でもそれがどんな風に
届けられて、どんな風に中に入って、消化されていくか、という
ところは分からないし、コントロールは難しい。
でも、ぎりぎりまでそれをコントロールしようと、ことばを扱うプロは
するのかな。

相手の中にどんな風にそのことばが浸透していくか、
というか、何を誘発して行くかはやっぱりコントロールできない
んだろうと思う。というか、そこがコントロールできなくって、
思いもかけないものが誘発しあうところが、ことばの面白いところだね。

僕も学会発表なんかをするんだけど、聴衆を聞くようになれないと
いけないですね。
いつも、自分の発表をいかに時間内に終らせるか、でいっぱいいっぱいです。
どうやったら伝わるか、というのは事前の準備では考えて
発表資料を作るんだけど、その時はがんばって喋って、
いつもふと気がつくと「え、もうこんな時間なの、足りない〜」って。

観客が聞いてない、というか、それほど意識が集中されてない時はどうするの?
声の力でこちらを向かせれる、という感じでしょうか。

> そしたら、お客さんだった人が「ライブのときに、唄と音楽がこの薔薇のところに届
> いてきたの」ってお話してくれてね。
> とてもうれしかったの。
> 意識すれば、声の軌跡は見ることができるよ。

すごく面白いワークショップ。
観客も、そして演者も、驚いて喜んで、理想的だね。


> ほんとにね、耳を澄ませて聞く っていうのは大切なことだと思うな。

そうですね。
音楽なら耳を澄ませて聞くことはあっても、ことばをそういう風に
一生懸命聞くことって、小学校で先生の話を聞いていたとき以来、
あんまりないかもしれないね。
假奈代ちゃんの朗読やワークショップに来たお客さんは、
そういう、ことばが届くこと、届けられること、体に響くことを
体験できて、新鮮で嬉しいだろな。

> 朗読しているときね、集中力、ならば、感じるよ。
>
> 聞いてくれているな、っていう。
> 意識が、ばーーーーって、こっちに集まってくるよ。

すごい。圧倒されそう。
でも、それに負けないエネルギーで伝えるんですね。

假奈代ちゃんの朗読はまだ一度も聞いたこと生で聞いたことがないですが、
日本に帰ったらぜひ聞きに行きたい。
そしてそのエネルギーの伝わり方を自分で体験したいです。
あ、もちろんエディンバラに朗読に来てくれてもいいよ (笑)

> こころから声を届けようとしているとき、人はその声を確実に届けるために
> それはそれはすっごいエネルギーをこめているから。
> もちろん、おざなりな届け方も見えちゃう。拡散してる、とか、失速してるとか。
> もちろん効果的な届け方のコツもあるよ。
>
> 意識と訓練で、そういったことは学べるよ。
>
> そして、わたしは、その学びの最中におります。

そっか、そういうことはやっぱり訓練を積んで行くんだね。
プロって感じだ。今度そのこつを教えてね。
僕ももっと意識して、話したり聞いたりしてみるよ。
明日からボストンに行って言語進化の会議で発表するんだけど、
まずはそこから意識してみよう。

> シュミレーションしなくても、わかることだけれど、
> ほんとにシュミレーションして、そんな結果がでる、っていうのはすごいことだね。

そうかな。でもやっぱり、その先になにを提示できるか、が大事。
こんどのボストンでは、人は自分で意味を作りながら会話をする、
ってことを前提にしてシミュレーションをつくると、ほら、こんな
言語のダイナミックな性質が出てくるんだよ、って話をします。

> 「プログラム・シード-〈かたち〉の生まれる時」

面白そうですね。
僕のやっている人工生命の分野には、アートの人もけっこういてる。
で、そういう人達も

> 造形の有様自体が根底的に変容しているいま、アートのみならず、バイオテクノロジー、
> 人工生命、自然の鉱物、仮想する数理的なかたちなどの、さまざまなかたちの生成
> 自体をひとつのシステムととらえ、そのなかの様式として固まる以前の因子が起動し、
> 〈かたち〉が発生していく初源的な有り様をみつめていく。と、いうようなことが書
> かれています。

こんな感じのことに興味持っているみたいですね。
あと、見ている人がそこに絡んで行く作品が多くて、かたちの
成長の仕方が変わって行ったり。なかなか面白いです。

僕はね、化石のところでも書いたけど、目に見えないものをいかにみつめるか
ということを追ってる感じ。

> ぜひ、この展覧会に足を運びたいなと思っています。
> この目でみてきたら、ぜひ、報告させてくださいね。

ありがとう。楽しみにしてます。
でも假奈代ちゃんもいろいろとイベントとかあって、大変そうだね。
あまり無理しないようにね。

としを

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